| 和田: |
さて、今日は、木戸寛孝さんにお越しいただいています。こんにちは〜! |
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| 木戸: |
こんにちは! |
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| 和田: |
木戸さんは、友人の紹介を介して親しくさせてもらっていて、いつも主催されている会などでお話しを聞かせてもらっていて、本当に勉強になっています・・・笑
それで、今日は、どんな話を伺おうかなと思ってるんですが、スピボイを読んでいただいている皆さんは、木戸さんのことを知らない方も多いと思いますので、木戸さんのご紹介も兼ねながら進めていきたいと思います・・・笑 よろしくお願いします。 |
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| 木戸: |
はい。よろしくお願いします。 |
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| 和田: |
木戸さんは、僕が理解している限りでは、“日本の国学を研究さている方” それから、“世界連邦運動に参加されている方”、そしてまた“明治維新の立役者、桂小五郎こと木戸孝允の直系6代目”というとても面白いプロフィールをお持ちです。
さて、そんな木戸さんですが、いったい、どんな活動をされているのか?実は、僕自身、よくわかっていなくて・・・笑。ただ、いつもすごく勉強させてもらってばかりで・・・笑。今は「今事記(こんじき)」というセミナーをされていますね。先日も参加させてもらいましたが、とても内容が深くて、知的で楽しい。僕たちが生きる上で、とても重要なポイントをいつもお話しされていますが、木戸さんの活動の基本的な軸というのは・・・より良い世界の創造・・・社会変革?ということなんでしょうか?
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| 木戸: |
切り口はいろいろですが、“世界連邦”という理想を通して、「世界が法治共同体として一つにまとまれるかどうか?」という問題と、そのスケール観に通用する「自分とは何者なのか?」という問いを、簡単には答えは出ませんが、自分なりに探求しています。 自分の人生を考える際、「自分はどこから来て、自分とは何者で、そして自分はどこへ向かおうとしているのか?」を考えます。そのように自問自答する時、まずは自分自身の過去のルーツというものを考えます。僕の場合、「自分はどこから来たのか?」という問いに対しては、六代前の先祖で明治の元勲・木戸孝允、それから木戸幸一(きど・こういち)という曾祖父がいますが、東京裁判でA級戦犯になり、無期懲役の判決を受けました。さらに、その先代にあたる曾々祖父には、児玉源太郎という日露戦争を勝利に導いた陸軍の知恵袋的存在が、一族の中に名を連ねています。
その血筋の流れの中に自分という存在がいる。そんな自分は果たして何を使命としてこの世に生まれてきたのだろうか・・・とあれこれ自問自答するわけです。
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| 和田: |
慶応大学を出られて、電通に入社されたんですよね。
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| 木戸: |
そうですね。電通という会社は、本当に良い会社でした。今でも仕事でお世話になる機会もあります。ただ、自分が本当にやりたい事が何か?というものが腑に落ちる前に、組織の中で働きはじめてしまったので、外側の環境とは無関係に、必然的に自己矛盾を起こすんですよね。 |
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| 和田: |
なるほど。 |
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| 木戸: |
働くことや生きることの意味なんて殆ど考えることもないまま就職活動をして入社してしまいましたから、ある時そうした問いに目覚めて、あれこれ考えるわけです。そうしたことには当然、免疫ができていないのですぐに自己矛盾に陥ってしまい、就職して3年位した時には、もうここにはいられないと思っていましたね。仕事が嫌だとか、仲間や上司が嫌だと言う事では全くなくて、あくまでも自分の心の問題でした。僕の性格は、一般的にニートと言われるようなタイプの人とは少し違うと思いますが、会社を辞めてニートと安易にくくられてしまっている大勢の人たちの中には、自分と同じような心境で会社を辞めている人も少なくないんだろうと思いますよ。 |
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| 和田: |
ええ。 |
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| 木戸: |
無気力症とはまた別なんですよね、この感覚は。でも職場を変えれば解決するわけでもない。タチが悪いと言えば、そうかもしれませんね。笑 |
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| 和田: |
何かやるべき事を探している状態・・・ |
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| 木戸: |
心の奥底で何かしらのコミットメントができていないことから、視覚的というか表層的な現実に納得できなくなって、心のバランスが崩れるという感じですかね。 |
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| 和田: |
内側から湧き上がってくるものが欠如している感じですか。 |
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| 木戸: |
そうそう。つまり、内なる心にきちんと納得を刻んだうえで、外の世界にアプローチしていくというステップを踏まなかった。会社組織のあり方が本質的な問題ではないと思うんです。
もし、自分の内から発動する思いがあって、そのうえで就職活動をして、社会に所属するというステップを踏んでいたら自己矛盾を起こさないで済むと思うんですよね。
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| 和田: |
今の学校教育の中では、例えば大学まで行きますよね。木戸さんは慶応ですよね。慶応とか早稲田とか、名のある大学だと、みんなそこへ入るために勉強して、大学へ入ること自体が目標になったりします。望む大学へ入学できたら、目標を失って燃え尽きてしまい、その混乱したままの状態で学生生活を過ごしてしまうという現実があったりします。すると、本来あるはずの自分とは何なのか、自分はどうしたいのかということが、見つめられない・・・ |
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| 木戸: |
純粋に自分がやりたい事は何だろう?自分って何者なんだろう?という人間の素朴で純粋な問いを発動させる環境は、たしかに大学キャンパスの中にはなかったような気がします。一方で、僕は学生時代にパリ・ダカール・ラリーに参加してサハラ砂漠を横断したり、アフリカ最高峰のキリマンジャロ(6800m)に登頂してみたりと、いろんな経験をしたのも事実ですが、それを考えると、やはり外側の環境よりも、本人の心の成熟度の問題かもしれませんね。 社会の中で、社会人として自分が何の証を立てて生きていけばいいのだろう?という問いを明確に立てて、そこに対してぶれない自分の軸を持とうと自覚したのは、少なくとも僕にとっては会社を辞めた後の出来事でしたね。漠然とした哲学的な問いみたいなものはあったとしても、それは単にカウンタブルな、社会に対する反抗みたいなものにすぎなかったかもしれません。
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| 和田: |
何かしら自分の軸を見いだせましたか?
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| 木戸: |
会社を辞めようと決意したときは、漠然とビジネスではなく政治をやるんだ、みたいな感じだったと思います。普通の人と比べたら政治は意外と身近なものだったんですよね、自分の身内に国会議員もいたりして。けれども、いわゆる選挙に出て同じようなアプローチで政治に関わりたいのかと言ったら、それはどうも違うわけです。 何か既存のやり方とは違う別な方法で政治に関わりたいと思っていたのですが、それも自分にとって何が取り組むべきテーマなのかを明確にイメージできていなかったからなんでしょうね。それで、いろいろな本を読みましたが、やはり原点回帰しなくては答えは出ないと思い、自分の先祖は政治家として一体何をしたんだろうと、もう一度掘り下げてみたわけです。
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| 和田: |
政治の方に向いたというのは、木戸家の文化の中に、やはり木戸孝允の革命、明治維新という歴史やDNAが、今でもずっと息づいているということなんでしょうか? |
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| 木戸: |
息づいているというよりも、現代社会は明治維新による近代化の延長線上にあるわけで、今の時代をエスタブリッシュしたのが明治維新といえます。それを成し遂げた先祖が、自分の中で誇りでないといったら嘘になりますね。 彼らと同じ位の、何か生きた証を自分は立てられるのだろうか?という葛藤は自然と出てきてしまいますよね。
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| 和田: |
なるほどね。木戸家の皆さん全員が、家の中でそういった雰囲気はあるんですか?
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| 木戸: |
どうでしょうかね。木戸孝允以降、一族の者は貴族院議員をやっていて木戸幸一はA級戦犯じゃないですか。僕の祖父は弁護士ですが、父・幸一を守るために東京裁判で弁護人を務めました。
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| 和田: |
ほお〜。どうしても、生まれもった運命や流れを感じますね。
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| 木戸: |
でも、選挙に出て議員になる事だけが政治ではないですよね。NGOは、ガバメントではない政治ですから。ただ、やはり「公共性」という領域に関心があって、僕にとっては政治とは「公」(おおやけ)を意味するんです。公の為にどうあるべきかが真ん中にあって、そこが決定的にビジネスとは違うところです。公共性をどうやって確保するのか。
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| 和田: |
例えば、今、企業の社会的な責任(CSR)をはじめとして、企業の誠実さがとても問われている時代ですよね。企業は利潤を追求して成長するというのが、基本的な存在目的のように考えられる節もありますが、これは企業が存続するための必要条件であって、本来の目的ではないですよね。 ピーター・ドラッカーは、価値の創造とか顧客の創造と言っていますが。いまは、企業があらゆる面で「公共性」を考え始めている時代になっていると思うんです。
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| 木戸: |
大賛成ですね。自分の仕事の立ち位置も、企業がどうやって社会的責任を果たしていくのか?というようなテーマであれば、そのプロジェクトはすべて自分の射程範囲と思いますので、既存のスタイルにとらわれずに様々な仕事に取り組んで行けたら有り難いですね。
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| 和田: |
なるほどね。 |
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| 木戸: |
僕は、時代とともに「公共性」の範囲が拡大していくこと、それが人類の進化だと思っています。ローカリティーやアイデンティティも大切なことですが、僕が本当に興味を持っていることは、より拡大された「公共性」をどうやって確立していけるかという問題なんです。明治維新は、まさにそうですよね。 |
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| 和田: |
例えば、シンクグローバリー&アクトローカリーというコンセプトは、国際的に考えて地域的に活動しようという考えですよね。そうすると、日本であれば地方分権とか地域活性を考えるでしょ。でも例えば、東京ほど鉄道網がきめ細かく張り巡らされている都市は世界にはなくて、エリア当たりの経済効率、省エネ効率はとても優れているらしいですね。だから、東京と聞いただけでは、エコな街とは想像しがたいんですが、人間の生きるエネルギーの効率でみれば、ものすごく高効率な都市だということなんだそうです。単に、地方の環境などを見れば、自然がいっぱいでエコロジーな感じがしますけど、実際は、そこにインフラを張り巡らせるには、ものすごく大変なんですよね。だから、国交省の財源の問題なども出てくるし、地方で無駄なお金を使ってしまうんです。そういう意味では、都市はいい意味で集積して、効率化していく事が望まれ、地方もエネルギー効率の面で、集約的に都市化していく事が望まれているという考えもあるんですよね。僕は、理論的にはとても納得したんですよ。 |
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| 木戸: |
地方分権というコンセプトで地方のローカリズムを確保していく事は、それはそれで重要なことだし、その役割を担っていく人が今後期待されてくるのは当然と思います。ただ、自分が果たすミッション、もしくは自分が演じるべき役割はそこではないと思っています。やはり、自分にとっての興味は世界共同体をどう創造していけるかというのが圧倒的に強くて、地方分権は大切なことだとは思いますが、自分のやりたい事の挑戦はより大きな枠組みをつくることの方にありますね。
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| 和田: |
自分がやりたい事をやってると、別の部分をやる人は、別にちゃんと出てくるんですよね。 |
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| 木戸: |
自分のぶれない軸を、何で担保するかと言えば、内から湧き上がってくる思いなんです。それは先祖から繋がっている記憶のDNAみたいなもので、それを軸にして物事を考えていくと、そこにぶれない自分を見出せるような気がするんです。
例えば、明治維新とは何だったのか、と。それまでは藩に主権があり、今で言えば県ですが、当然のように各藩ごとに武器をもって 自治権を行使し、藩と藩を移動するにも手形が必要で、ましてや一部の武士や商人達を除いては藩の外に自由に出ることさえ許されなかった。公正な法律も無く、人が決めていく人治政治でした。そんな時代に明治維新は、バラバラだった藩をひとつの政治体制にまとめ上げ、法律による法治社会を築き、日本を近代国家として確立したわけです。 |
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| 和田: |
へぇー。勉強になります。そうだったんですね。僕は理解していなかったんですが、もっと社会を勉強しろという事ですね・・・笑。江戸時代は、武家所法度とかあったじゃないですか。 |
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| 木戸: |
まさに武家所法度のレベルです。それは近代法のレベルとはほど遠いものです。 |
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| 和田: |
例えば裁きは、きちんとした何条何々といった法律的な決め事があったわけではなくて、偉い人の裁量で決める程度のものだったんですか?! |
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| 木戸: |
そうです。今の大河ドラマの篤姫を見ていればわかりますよね。話し合いの合議制で何でも決めているでしょ。しかも、その決めている人々も、身分制度で血縁によって決められています。 |
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| 和田: |
現代でいうような公正な制度ではないんですね。でも、江戸時代はとても安定していましたよね。 |
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| 木戸: |
安定していたかどうかと、公正さが担保されているかということは別の次元だと思います。いずれにせよ、その古い体制では黒船が来航した時には全く機能しなかった。既知の常識では収まりきれない出来事が目の前で展開されるとき、これまでの仕組みは全く通用しないというのが歴史の常かもしれず、そこから大きな変革の波が起きてくるんでしょうね。 |
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| 和田: |
なるほど。 |
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| 木戸: |
黒船が来航し開国しろと言ってくる。明治維新以降のプロセスは、開国し、日本の国内を一つに束ねていく一方で、その後、日清・日露・太平洋といった世界の超大国を相手に戦争をすることになるわけです。そんなことになるとは幕府の官僚達は誰も考えなかったでしょうが、時代精神はそうなることを見据えていたんでしょうね。だから、そろそろ国内における藩ごとの争いを終え、日本がひとつの国としてまとまって対処していかなければ、次の時代の荒波は乗りこえては行けないと、時代精神は判断したんだと思います。その流れの中にあって、木戸孝允は五箇条の誓文によって日本の新たな方向性を言挙げし、廃藩置県を断行することで統一された国家を作りあげていくわけです。
では、平成の世に生きている自分自身と、明治維新とを照らし合わせてみた場合に、その時の藩に当てはまるものは何かというと、それが「国家」だと思うんです。現在は、地球を舞台に「国」が当時の藩のように主権を振りかざし、各国ごとに武力をもって凌ぎを削り合っている。そんな中、いま地球上で起こっている自然環境破壊の問題や、南北問題による貧富の格差、そして人口増大による食料やエネルギーなどの資源配分の問題などを、これまでの国家という枠組みで問題解決しようと思っても限界があり、その姿は黒船来航で慌てふためいた幕府にそっくりだと思うんですよね。 |
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| 和田: |
なるほど。つまり、各藩が幕府の下でひとつにまとまっているかのように見えても、実はバラバラだった。その状態と同様に、今の日本やアメリカ、中国などの国々がそれぞれ法治国家として存在していますが、迫り来る現代の黒船に対して何ら対処できていないということですか? |
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| 木戸: |
はい。危機的状況と思います。幕府を国連に見立てたとすれば、その無機能さぶりは、まさに江戸末期の幕府同様です。各国は自分の足下の利害ばかりに関心が向き、未来の行く末に対して盲目状態になっているのも、当時とまったく同じですね。 |
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| 和田: |
今の国家の在り方は、孤立しているといったらいいんでしょうかね? |
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| 木戸: |
主権を持っているということです。地球上においては「国家」という単位が主権を持ち、国家の中では、主権在民といって「国民一人一人」が主権を持っているのが民主主義です。国連などの国際機関においても、あくまでも主権は国にあり、主権を保持する国に対して内政干渉してはいけないというのが国際ルールの基本原則です。
明治維新の時代も、藩と国家をそのまま入れ替えれば同じことです。そうすると、やはり世界はまだバラバラなんですよ、主権というものを全面的に振りかざす限りは。 |
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| 和田: |
面白いですね。ある意味で、江戸時代末期の日本は、現在の国際情勢の雛形みたいな様相になってたんですね。 |
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| 木戸: |
ええ。一方で、ITテクノロジーを基盤とする情報社会や、多国籍企業や国際金融によるグローバル経済は、一国で自己完結することは不可能といえるまでの世界規模の結びつきを実現しています。にもかかわらず、公正なグローバルガバナンスは健全に機能しているとはいえず、国際社会は、まるで戦国時代のような弱肉強食の強いもの勝ちの世界になっていて、弱い存在が搾取されても当たり前というのが、世界の現状です。 |
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| 和田: |
現実に、そうですね。 |
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| 木戸: |
世界に起こっている貧富の格差が、もし日本の国内で起こったら大変ですよね。明日を生きれるかどうかわからないという、それは生存権という基本的人権が約束されていない状況です。日本での生活では想像もつかないと思います。僕ら日本人は、国内では貧しいとされる人達も含めて、世界の中では勝ち組のパラダイムの中にいるという自覚が必要と思います。 |
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| 和田: |
そのリアリティーは、どうしたら感じられるのでしょうか?現場に行ってみるしかないのかなあ? |
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| 木戸: |
これは難しい問題ですね。どうやって、そこまでの自覚をもたせるのか?一番大きいのはやはり教育の問題と思いますが、自分はCARE-WAVE AIDという活動をしていて、ミュージカルというエンターテイメントを通じて世界の現状を伝える活動にも関わっています。
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| 木戸: |
世界で初めて開かれた国際刑事裁判がニュルンベルグ裁判(ナチス・ドイツ)と東京裁判です。という事は、その前はどうだったかというと、政治的手段として戦争は合法だったということです。
東京裁判とニュルンベルグ裁判が始まる少し前に、現在の国連が設立されて、初めて侵略戦争は違法行為であることが国連憲章に明記され、自衛戦争以外はしてはいけないという事が国際ルールになったわけです。 |
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| 和田: |
戦争を法で取り締まれるという事ですか? |
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| 木戸: |
第二次世界大戦で膨大な人が命を落としました。これを繰り返してはいけないという事でアメリカとイギリスのイニシアチブのもと、戦勝国と言われた国の人たちが常任理事国となって、国連ができたんです。それで、国連憲章の中で戦争をしてはいけない事が掲げられて、その後の日本とドイツの処理に対しても、裁判を通して決着を付けたという歴史が生まれたわけです。
ただ、現在の常設の国際刑事裁判所は、2002年に設立されたわけですが、それに対して一番反対しているのはアメリカです。なぜなら、現代において最も世界中に兵を展開しているのはアメリカだからです。仮に、国際刑事裁判所の条約に、アメリカもイラクも加盟していたとしましょう。湾岸戦争においてアメリカが戦争を行った理由の1つに、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているということがありましたが、実際は間違いでしたよね。そうなると、この裁判所でイラクはブッシュ個人を訴追できる可能性がでてくるわけです。 |
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| 和田: |
それではアメリカは、今のところ入るわけないですね。 |
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| 木戸: |
入らないですね。だから国際刑事裁判所に、世界のすべての国が加盟するには、まだまだ時間がかかると思いますよ。 |
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| 和田: |
中国は入っているんですか? |
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| 木戸: |
入ってないです。基本的に、何かしら紛争に関与している国はどこも入ってないですよね。 |
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| 和田: |
ということは、ロシアもですね。 |
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| 木戸: |
入ってないです。ロシアには、チェチェン問題があります。 |
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| 和田: |
でも国際刑事裁判所に加盟している国々が圧倒的多数になれば、戦争に関与する大国も入らざるを得ない状況が生まれるかもしれませんね。ところで、この国際刑事裁判所に関して具体的にはどのような活動をされてきたんですか? |
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| 木戸: |
「世界連邦運動協会」という国際NGO団体があります。これはどういう団体かというと、国連ができた後に、アメリカによって日本に原爆が落とされました。その惨状をうけ、アインシュタイン博士、シュバイツァー博士、湯川英樹博士といった科学者の面々が、これだけの破壊力を持った核兵器を各国が持ち始めたら人類は終わってしまうので、国連をより強化した本当の意味での世界ガバナンス体制を作るべきではないかという運動が起こったんです。それが、世界連邦運動の始まりです。ニュ−ヨークに本部があり、現在、世界24カ国に支部があります。この世界連邦運動協会がICC(国際刑事裁判所)の動きを精力的にサポートしていて、国際刑事裁判所条約の批准に向けて世界中のNGOを束ねた経緯があったんです。それで、自分も日本政府をICCに加盟させるプロセスに関わりたいと思い、世界連邦推進日本協議会の植木会長を訪ね、事務局次長として働ける機会を得たわけです。
世界連邦の組織には世界連邦日本国会委員会という議員連盟があるんですが、そこを通してICC(国際刑事裁判所)に加盟するよう国会へ働きかけようとしましたが、最終的には、独立したICCの議員連盟を作る事となり、そこから本格的なロビー活動が始まりました。これには3年半の時間を費やしました。
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| 和田: |
ロビー活動とは、具体的にどんなことをするんですか? |
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| 木戸: |
まずは、国会議員の人たちにICCの大切さを理解してもらうため、国際法のオーソリティの方々を招いて勉強会を開催します。それにより、多くの国会議員にICCの重要性を認識していただいた上で、国会議員の先生方から外務省と法務省に事が前に進むように働きかけてもらいます。
けれども関係省庁としては、この条約を批准する為には、いくつか国内法を改正しなければならず、今はその準備をしている状態ですと回答が来ます。とはいえ、政治的なイニシアチブが働かないと、行政サイドもなかなか重い腰を上げませんので、法律の改正に向け更にプッシュしてもらうわけです。この繰り返しですね。
それから、もしICCに加盟した場合には、国連と同じように分担金が発生します。厳しい財源の中でそのための予算を確保しなければならず、これには財務省の理解も必要となります。つまりロビー活動とは、国会議員に必要性を理解してもらう事と、条約締結にあたり国内法の改正と予算に関する法案を国会で通してもらうためにありとあらゆることをするということですね。 |
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| 和田: |
ICCの重要性は確かにあると思うんですが、現実的なリアリティーや有効性が見えにくいのも事実と思います。そんな中で活動していくにあたり、どのようなことに頭を使われましたか? |
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| 木戸: |
当初「加盟する事によって一体どんな国益があるのか?」という点を指摘されました。現在の主権は当然、国家である一方で、ICC加盟というのはその主権の一部を委譲するという意味合いを持っていますし、ICC加盟に伴って払われる分担金は国民の税金です。ですから、その有用性を国益という角度から説明する必要も分かるのですが、なかなか難しく、どうしたらご理解いただけるのか悩みましたね。
結局、「もはや一国で国が成り立っていける時代ではありません。ましてや資源がない日本は尚更です。そうした時代の中で、国際社会に新しい次元のガバナンス、新しい法パラダイムを構築していくことは日本の国益に繋がります。また、日本人は戦争放棄という平和憲法を持つ希有な国として、その最前線に率先して参加し、新たな未来を切り開くことで世界に貢献すべきではないでしょうか。それは、誇りを得ることにも繋がると思います。」と説明しました。
国連の常任理事国入りも大切ですが、新たな国際社会のパラダイム構築に対して具体的な貢献を世界にを示してこそ、政府が望んでいる国連常任理事国入りの可能性も現実的なものになっていくのではないかと思います。 |
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| 和田: |
一国ずつを見ると、非常に理想的な法治国家を作っているように見えますけど、世界的な規模ではまだまだということですね。それが実現すれば、世界維新になるんだろうけど、今は、その直前で、夜明け前。「黒船」が来ている時という事ですよね。 |
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| 木戸: |
そうですね。 |
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| 和田: |
ところで、以前、木戸さんのセミナーで「科学と哲学」というテーマで、非常に深く掘り下げた話をお聞きしたんですが、日常の社会環境の中で哲学したとしても、最終的には、「個人個人」に委ねざるを得ない部分もどうしてもでてきますよね。 |
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| 木戸: |
僕は、現代のパラダイムの主軸は何かといえば、イギリスとフランスで起こった民主革命だと思っています。個が当たり前のように搾取されていた時代に、個を大切にしていこうという潮流を思想レベルではなく現実のものとすべく革命を起こし成功させた。すごいことですよね。明治維新もその流れの延長にあります。そして、行き着いたのは主権在民という「個」が主権者で、「個人」の幸福追求が公共の福祉に反しない限り「最大に」尊重されるという思想です。日本国憲法では、第13条に明記されています。僕は、21世紀は、この思考レベルを大きく超えていく時代だと思っています。
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| 和田: |
なるほど。それは、僕もリアリティーをもって感じますね。 |
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| 木戸: |
個人の幸福追求が阻害されてはいけないですけどね。 |
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| 和田: |
個人が、公共性を重視するのは当たり前の時代になってくるんじゃないですかね。 |
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| 木戸: |
個人の幸福追求よりも、もっと優先すべき事柄が認識されると言う事ではないでしょうか。個人の幸せも、何かしらの基盤があってはじめて成り立つものだとしたら、その基盤を守ることをまずもって優先しなければならないということです。それが何かと言えば、生命原理のようなものではないかと思います。人権から、「生命権の尊重」という政治哲学の進化といえます。 |
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| 和田: |
一人ひとりの中に、「個人の幸せ=みんなの幸せ」という意思の変革は、起こりえないでしょうか? |
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| 木戸: |
そういう切り口もありますね。個の定義の進化によって、新しい人間観の地平が開かれていく。個人の幸福追求は「自我」(エゴ)のレベルですが、実は自我よりももっと深いところに集合無意識という層があって、肉体によって制限されている自己の範囲を越えた結びつきが、個の意識には内蔵されているという人間観がありますよね。それがシンクロニシティを引き起こす根拠にもなっていると。 |
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| 和田: |
僕もとても共感できます。あるレベルの意識段階にたどり着き、満たされれば、他を思う意識も拡張していくと思うんですが、そんな進化の段階があるのかなと思ったりするんです。 |
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| 木戸: |
社会主義や共産主義においても、他者性をとても重視していますよね。 |
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| 和田: |
理想としてはありますけれども。 |
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| 木戸: |
社会主義や共産主義と、これから切り開かれていく世界観とは、何がどう違うのかを明確にしていく必要もあるかもしれませんよね。 |
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| 和田: |
自然と内発してくる、当たり前の感情が違っているのではないですか。我慢してみんなで分け合おうというスタイルから、分け与える事が自分の幸福に繋がっていくスタイルへ移るというか。ある程度、自分が物質的に満たされている事が条件になってくるかもしれませんが。 |
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| 木戸: |
他者性を考えた時に、社会主義も共産主義も唯物主義ということもあり、体というシールドの外にあるものを直感的に他者とするため、他者と自分は切り離されて存在しているという観念が根底にあると思うんです。だけど、素粒子物理学によって発見されている物質の振る舞いは、実は個々の粒子は切り離された存在ではなく全てエンタングル(絡み合っている)しているということが言われ始めています。私たち人間も素粒子の塊であるなら同様のことが言えるのではないでしょうか。
この新しい世界観が創造される道筋には、「内」に向かっていく道と「外」に向かっていく道とがあると思うんです。内に向っていく道とは「意識」の探求であり、個として自立した存在でありながら、集合無意識レベルでは他者と繋がっていることの発見だと思います。また、外に向かっていく道とは、素粒子物理学および天体物理学の探究であって、「物質のミクロおよびマクロにおける振る舞い」から、すべてのものは非局在的にエンタングルしている現象を発見することだと思います。そして、この二つの道は同じ原理によって解明されることにより、一つに繋がることが予測されます。体と心の統一は、古代からの賢者達の彼岸ですからね。そして、この世界観は、全ては繋がっているという意味において、世界法治共同体を生み出せる根拠にもなると思います。 |
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| 和田: |
たしかに、すべては潜在意識で繋がっているのでしょうが、そこまで、意識を拡張していくには、100年では足りないんじゃないかと思いますね。 |
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| 木戸: |
どうでしょうかね。この物語が人類の歴史の中でどのような時間軸で展開されていくのかは僕にも分かりませんが、方向性としては間違いないという確信はあります。ただ、100年もかかるのだとしたら、僕の今世の人生は、現実を変革する革命家として演じることなく、単なる思想家で終わってしまうということになりますね。笑 |
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| 和田: |
でも、もしかしたら現代の黒船は目の前に分かりやすい形で姿を表していないだけで、きっとこれからよりはっきりと明確な姿を現してくるんでしょうね。そうすると先程100年かかると言いましたが、突然数年でシフトしてしまう可能性も出てくるかもしれませんね。 |
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| 木戸: |
明治維新がそうでしたよね。300年続いたものが、わずか10年で一気にシフトしましたから。今の常識では、「国家と個人」がガバナンスのパッケージになっています。つまり、世界で見た時には主権は国家にあり、国家内における主権は国民個人に帰属しているということです。この「国家(ナショナル)と個人(パーソナル)」という組み合わせのパラダイムを、両サイドからトランスしていくことが地球維新では求められます。
一方が「トランス・ナショナルな制度構築」であり、もう一方が「トランス・パーソナルな思想構築」なんです。トランスナショナルな制度構築とは『世界連邦』に他なりませんし、トランス・パーソナルな思想構築とは、先ほど説明した人権をよりバージョンアップさせた『生命権』という政治哲学の確立と考えています。人権思想のままでは、世界連邦の実現は無理だと思います。最先端の科学的発見を射程に置きながら、この両サイドをトランスさせる「新しい制度と思想をクリエイティブする試み」は同時進行していくと思われます。 |
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| 和田: |
実に、面白いお話しですね。もっと、お話しを聞きたいのですが、木戸さんのもうひとつの顔といっていいのかな、コトタマ(言霊)の研究者としても、非常にたくさんの情報を持たれていて、実は、こちらも重要なテーマとしてお聞きしたいのです。 |
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| 和田: |
コトタマは、不思議な力を持っていて、日本語の中には不思議なコードが隠されていて、そして、先程話していた地球維新とコトタマも非常にリンクしていると・・・。そもそもコトタマとは、どういうものなんでしょうか? |
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| 木戸: |
簡単に言うと、万物は【音】からできているという事です。物質やエネルギーなど現代の科学では数学=「数」によって理論構築されていますが、コトタマの宇宙観ではすべてのものは音によって創造されていると捉えます。しかも、単なるランダムな音ではなくて、なんと意味や価値を生み出す記号である【ことば】によって世界ができているというのです。これは、実は、日本だけではなくて、世界中の宗教に似たような思想があります。
例えば、ユダヤ教の信仰体系には、「カバラ」と呼ばれる宇宙観があって、それは古代ヘブライ語22文字と10個のセフィラーによって世界は創造されていると考えるそうです。ちなみに日本のコトタマ学では、カタカナ表記の50音図+ンが世界の雛型になっていると考えます。
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| 和田: |
非常に面白いですが、音が世界を作っているという事は、すぐには理解されにくいですよね。どちらかというと、元素でできていたり、鉱石でできていたりと思ってしまいます。ことばの音とは、今もこうして話してますが、喉のバイブレーションで、空気が振動して音が出ていますが、このように、僕たちは、意図的に言葉を発する事はできるわけですが、自分が存在するよりも前にことばの音が存在していたという事ですか?
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| 木戸: |
そうです。言葉を発する人間すらコトタマによって作られていると考えます。現代の常識では、宇宙開闢によってエネルギーと様々な元素が生み出され、それらの元素が引き寄せられて星が誕生し、地球も誕生し、何かしら鉱物的なものが化学変化を起こすことによりタンパク質が生まれ、それらが複雑に絡み合う事によって単純な生命体が誕生し、さらに複雑性を増しながら哺乳類が生まれ、最終的には言語を使う高度な意識を持った人類にまで進化してきた・・・というふうに考えられていますよね。でも、コトタマの世界では宇宙開闢すらコトタマという言葉の力によって引き起こされたと考えます。そのためこの思想の前提には、科学や哲学のような無神論的な立場ではなく、あくまでも、万物は被造物であって創造主がいるという立場に立ちます。これには、賛否両論あることはよく自覚しているつもりですが、いずれにせよ、創造の主がこの世界を作るにあたり、音を使って、しかも、ランダムな音ではなく「ことば」の音を使って、万物を作り出したというのが、コトタマに貫かれた宇宙観なんです。
自然淘汰という、ある意味無作為な進化の中で霊長類としての人類が誕生し、それにより高度な意識と共に言葉ができたという考え方とは、真逆なんですね。「2001年 宇宙の旅」に出てくるモノリス的なものがあらかじめ存在し、その存在が万物を生み出すための設計図が、言葉の曼荼羅、カタカナ50音図+ンということです。 |
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| 和田: |
宇宙の始まり以前から音が存在して、そこに暗号のような秩序があった。それを、生命の進化の過程の中で、何億年もかけて人間にまで進化した時に、初めて意識の拡大が起き、そこにアクセスできるようになったと。つまり物質的な存在が自ら宇宙の本質といえる言葉を口から発するまでに進化を遂げたということですね。 |
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| 木戸: |
まさに、そういうことです。 |
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| 和田: |
面白いですね。そういったコトタマの宇宙観が、実は日本文化の中に沢山秘められているんでしょうね。 |
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| 木戸: |
言語が万物を作り出しているという世界観は、様々な国々にあります。それが日本語なのか、古代ヘブライ語なのか、それとも古代サンスクリット語なのかによって世界観が変わってくる部分はありますよね。ただ僕の知る限りでは、現在も日常的に使用されている言語でコトタマ的な宇宙観を内蔵しているのは日本語のみだと思います。 |
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| 和田: |
なるほどね。コトタマの宇宙観は、これからの時代の進化において、どういう風に有効なんでしょうか? |
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| 木戸: |
先ほどお話ししたように、21世紀の人類のチャレンジには、2つの方向性があると思うんです。ひとつはトランス・ナショナルなベクトルであり、もう一方がトランス・パーソナルなベクトルです。ただ、トランス・パーソナル化には集合無意識が鍵になるといっても、顕在意識の中に自然と立ち上がってくるような簡単なものではないと思うんです。自覚できないものは、知らないのと同じで、無いのと同じですからね。では、それをどうやったら自覚することができるのか?自分の内に秘められた集合無意識を顕在意識にまで引き寄せるには、何かしらの羅針盤が必要なはずです。それがコトタマの宇宙観であり、集合無意識の世界に入っていけるツールを自分たちの文化や言語の中に、日本人は持ち合わせているという事ですね。その探求により、個人と個人、人と自然がバラバラに切り離されているという既存の観念が大きく変容し、個々はけっして切り離された存在ではないということに気づかされることになると思います。
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| 和田: |
コトタマ的な要素は、暗号のように分かりにくいものもあれば、日常、僕たちが使っている言葉の中にもあると思うんですが、何か具体的なものを説明していただけますか? |
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| 木戸: |
まず、コトタマ的な要素というものは、我々が日常使う50音図+ンが万物の雛形になっているという・・・びっくりするような世界観なんです。 |
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| 和田: |
確かにビックリですよね。小学校の1年生で勉強しますから…笑。そこに秘密が隠されていたとは? 灯台もと暗し…大切なものは、身近に隠されていた…笑。おそらく秘儀的な面もあり、シークレットな部分も多いと思いますが、分かりやすく紹介できる例などはありますか? |
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| 木戸: |
そうですね、例えば日本の神社の頂点に君臨している社は太陽神・天照大神を奉る伊勢神宮ですよね。伊勢神宮の神域に入っていくには宇治橋を渡って五十鈴川を越えていかなければなりませんが、この五十鈴、「五十の鈴」が意味しているのは何かというと、50音図のことなんです。 |
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| 和田: |
へえぇ・・・。 |
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| 木戸: |
そして、川を渡るということは、五十音図の頭の部分「カ〜ワ」に当てはまり、宇治橋を渡っていく自分自身が「吾・ア」であり、つまり「アカサタナハマヤラワ」の50音の形式を暗号化しているわけです。5つの母音によってア行(アオウエイ)とワ行(ワオウエイ)が縦に両脇に並び、その間を横並びに8つの父韻(k、s、t、n、h、m、y、l)がブリッジしています。この5母音がアマテラスという母性の象徴であり、8つの父韻を八幡と呼び、スサノオという父性の象徴を表しています。
この5つの母音と8つの父韻という父と母の掛け合わせにより五十音図が形式化され、万物を作り出す雛型になっているという世界観なんです。 |
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| 和田: |
五十音図がベースになっていると言われますが、実際にはもっと複雑なものなんですよね。古事記と日本書紀の中には、その要素が多く含まれているんですか。 |
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| 木戸: |
古事記、日本書紀に記された物語を字面通り読むのではなく、そこに書かれた神名や地名、物語の展開をコトタマ的に暗号解読する事によって、高度に形式化された宇宙観が浮かび上がってくるんです。 |
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| 和田: |
例えばどのように暗号解読できるんですか? |
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| 木戸: |
例えば、「天津神」と「国津神」とは一体何の隠喩(メタファー)なのか。そして、それらの勢力が喧嘩するものの最終的には結ばれるという物語の展開は隠喩レベルでは何を意味しているのかという例があります。
まず、コトタマ的に解読すれば「天津神」とは目に見えない周波数(音)のみの世界であり、「国津神」とは粒子性のある物質世界の隠喩と捉えます。仏教世界では一方を胎蔵界、もう一方を金剛界という風に分類します。
そして、神話の展開を現代にも当てはまるように解釈すれば、天津神と国津神の分離は、周波数としての「心」の世界と、粒子としての「物質」世界が分離していることを象徴しており、天津神による国津神の統合とは、周波数的世界観の原理によって、今まで分離していたかのように見えた心と体(物質)の世界は実は繋がっていたということが証明されることを象徴していると考えられます。
この神話の隠喩が、先ほど話をした、「物質の素粒子レベルにおける振る舞い」がより正確に科学されることで、すべてのものが非局在的にエンタングルしている現象を発見することの預言になっていたら面白いなと思っています。その解釈でいえば、現代はまだ天津神と国津神は一つにまとまっていないということになりますね。笑 |
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| 和田: |
たしかに、心を扱う学問の世界と、物質を扱う学問の世界は完全に棲み分けされていますが、それが融合する時代がきっと来るのでしょうね。 |
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| 木戸: |
今の科学では物質世界は数学的表記によってのみ解明されています。つまり、科学的な論理はすべて数字に置き換えられてこそ客観性が担保されるという思考パラダイムです。そのパラダイムこそが、人間に限界をもたらしている可能性があるように思えてなりません。これは、科学が否定されるということではなくて、科学の世界が数字という単位だけに支配されてしまっているという事を意味しています。 |
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| 和田: |
コトタマの音は、体の構造にも関与していると思いますか? |
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| 木戸: |
もちろん関与していると考えます。そもそも、人間は自然の一部ですよね。万物が音でできている世界観に基づくのであれば、人間の体もまた音によってできているということになります。体が健康ではない状態、意識が健康ではない状態は、コトタマの世界観で言えば、いずれも、音の乱れが原因として捉えます。だから、自然の理に合わせて音を調整すれば体も健康になるし、意識の健康も回復するはずと考えます。 |
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| 和田: |
コトタマの宇宙観は、どのような現実をもたらすとお考えですか? |
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| 木戸: |
六代前の先祖・木戸孝允が明治維新を実現したように、自分としては地球規模における維新を実現してみたいという思いがあります。それには先ほど申し上げたように、「トランス・ナショナルなガバナンス体制」としての『世界連邦』の建設が必要となります。世界の廃藩置県です。それは世界法治共同体を意味するのですが、たんに法や体制をつくれば機能するわけではありません。なぜかと言えば、自然までもを含んだ世界全体を担保できるだけの権威がまだ地球上には存在しないためです。
権威とは、体制への信頼と、法をきちんとと守らなければならないと信じ込ませる力といえます。それには、繰り返し話してきたように、トランス・パーソナルな思想構築、つまり人権をよりバージョンアップさせた『生命権』という政治哲学の確立が必要になります。世界を担保できる権威の確立がないままでは、宗教やイデオロギーによる価値観の違いから、世界連邦を実質的に機能させることは不可能であり、それはICCにすべての国を加盟させることが非常に困難であることと同じと思います。人権思想は、一定の普遍性を有していますが、地球全体をまとめる力はないと考えます。
そのため、あらゆる分野のオーソリティー、例えば文系および理系の学者、宗教者、精神指導者らが、国連などの国際的な公的機関に一同に会して、それぞれの国や民族や宗教の権威を生み出す背景にある原理を持ち寄り、その中から共通性を抽出することでより普遍的な権威構築の創造にチャレンジすることが必要だと思っています。その時に、コトタマの宇宙観は一つの有力な原理として、日本から世界に提示できるものだと確信しています。
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| 和田: |
非常に興味深くて、もっとコトタマに関しても詳しくお聞きしたいです。ぜひ、第二弾をやりたいですね・・・笑。
今回、改めて分かった事は、やはり日本には、日本としての大きな役目があるという事、そして、誤解を受けるかもしれませんが、日本が世界の雛形になっている部分もあるのかもしれないと感じましたね。初めに、お聞きした世界維新の話も、思ったよりリアリティーがあって、そんな時代を見据えてながら生きていかなければならないんだなとすごく感じましたね。現代の黒船についても、注意深く見ていきたいと思います。 |
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| 木戸: |
明治維新の前夜、黒船が来航したけれども、一方で維新を実現するにあたって重要な役割を演じたのが坂本龍馬であり、彼は世界を自由に移動できる黒船と同じ力を持った船を手に入れ、亀山社中を設立しました。つまり、竜馬は、鎖国政策を施された日本の中で、その制限を超えていける手段を手にしたわけです。
黒船によるプレッシャーだけでなく、維新を成立させるためには、幕府が持っている以上の強力な武器を薩長に調達しなくてはならなかった。その武器を海外から運んだのは竜馬が手にした船でした。つまり、外圧によって幕府の分裂を引き起こした力も、薩長同盟によって統一された近代国家を生み出した力も、鎖国社会の中にありながら世界を自由に駆けめぐることが出来た船という装置によって生み出されたという事になります。 |
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| 和田: |
これから、我々の前に立ちはだかるであろう現代の黒船は、最終的には我々が次の時代を作り出すためのパワーでもあるという事ですかね。 |
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| 木戸: |
つまり、黒船の本質とは限定されていた世界をトランスしていく力なんです。限定解除の象徴ともいえるでしょう。みんな、黒船は悪いものだと思いがちですが、破壊と創造という二面性を兼ね備えているということです。
外国人の「黒」船は破壊や侵略の象徴だったかもしれませんが、竜馬の船は、新たな時代を創造する「白」船としての象徴だったといえます。結局は白も黒もなく、あくまで船とは「限定を生み出している境界線をトランスする力のメタファー」といえるでしょう。そうなると、現代の黒船は、制限された境界線の周辺に出現することが考えられます。
国家という境界、意識の世界における自我という境界、素粒子では周波数と粒子の世界の境界が存在します。それぞれの境界の周辺に、現代の黒船が突然のように出現してくる可能性があるのではないでしょうか。その境界を越境していく力が、コトタマの原理の中に秘められているとしたら、コトタマこそが世界における黒船であり白船であるかもしれませんね。 |
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| 和田: |
なるほど。じつに興味深いですね。みんなでその船にのって、新しい時代を切り開いて行きたいですね。本日は、長い時間本当にありがとうございました。楽しかったです。 |
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| 木戸: |
こちらこそ、ありがとうございました。 |
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