大切なのは、多次元意識を思い出すこと
和田:  今回のスピリチュアルボイジャーズのゲストは、多次元的意識世界を研究するモンロー研究所の認定フル・トレーナーで、リモートヴューイングのトレーナー、そして、多次元意識とシャーマニズムの研究家であるケヴィン・ターナーさんです。よろしくお願いします
ケヴィン:  よろしくお願いします。
和田:  さて、ケヴィンとの出会いなのですが、たまたま、ケヴィンがうちの会社のことを知って、Webサイトの相談で連絡をしてきてくれたんですね。僕もケヴィンの活動の内容を知って、とても興味深いなと思ったんです。それでお友達になったって感じですが・・・(笑)
 それで、ぜひ深めてみたいなということで、先日ケヴィンの「シャーマンの旅路」という2日間のワークショップに参加させてもらったんです。とても素晴らしい体験をしました。
 まず、ケヴィンは、現在、死後世界の研究で有名なといってもいいでしょうか、米国バージニアにある意識の研究を主な活動としている非営利の教育・研究機関、モンロー研究所における公式な国際認定トレーナーとして活躍されていて、現在は、日本人の奥さんと京都に在住ということで、日本でもこのモンロー研究所が提供するゲートウェイ・エクスカージョンという意識世界の体験のためのワークショップを行われています。他にも、遠隔透視技術であるリモートヴューイングの指導やシャーマニズムについての講座やワークショップ、死後意識の探求など幅広く活動されています。そんなケヴィンですが、活動について、具体的に教えてもらえますか?どんなことをされているのかということを聞かせてください。
ケヴィン:  そうですね、ありがとうございます。私は、現在5種類のワークショップを提供しています。それらすべて共通していることがあるんですが、それは多次元意識についてのワークショップということです。「多次元意識を思い出すためのワークショップ」、または、「再び多次元意識に気づくためのワークショップ」と言ってもいいと思います。
 私のワークショップというのは、多次元意識というものをいろいろな角度から見ていく、体験していく、そのためのコースです。
 まず、一つ目としてモンロー研究所というのは、米国のバージニアにあります。そのモンロー研究所の公式コースである「ゲートウェイ・エスクカージョン」という2日間のコースを提供しています。モンロー研究所は米国バージニアにあるんですが、私は、いま関西に住んでいますので、日本で公式なワークショップを開いています。
 それと、リモートヴューイングのコースもしています。幸運なことにスキップ・アトウォーター氏とジョー・マクモニーグル氏は、私の良き友人であるんですけれども、スキップ・アトウォーター氏は、米軍の諜報活動に、スターゲートプロジェクトというのがあったんですが、そこで指揮を執っていた人です。そして、良き友人であるマクモニーグル氏ですが、彼はおそらく、リモートヴューイングユニットで最も優秀なリモートヴューアーであったと思われます。そして、私は彼らと一緒に、モンロー研究所で仕事ができるということをとても嬉しく思っています。スターゲートプロジェクトの他のメンバーからもリモートヴューイングの訓練を受けたことがあり、私はリモートヴューイングの4日間のコースも日本で行っています。



 米国バージニアのモンロー研究所では、1週間のコースを教えています。そして最近は、日本で、自分の新しいコースである「シャーマンの旅路」というコースも行っています。ここでは、シャーマニズムを学ぶ中で、一番大切なシャーマンの旅というものを皆さんにお伝えしています。
 さらに、死後意識の探求のワークショップ、魂の救済コースというものもやっています。これは、シャーマニズムコースの上級の内容、それをさらに発展させた内容であり、また、リモートヴューイングの内容やモンロー研究所のコースをさらに発展させた内容と言うことができます。私の行うすべてのワークショップの上級コースに当たるコースですね。
 この死後領域というのは、シャーマンだけの領域だったんですが、昨今、死後の領域というものをナビゲートできる人材がとても不足していますので、それを広く一般に広めたいということで、魂の救済コースを始めました。誰かがソクラテスに「哲学の定義はなんですか?」と尋ねたことがあるんですが、彼はその問いに「それは死の練習だ。死を練習することだ」と答えました。これは多くの意味で、シャーマニズムに対する定義でもあります。
 シャーマンというのは、死後の領域と現実の橋渡しをする、または間をつなぐ存在だということができます。物質的な領域と非物質的な領域をつなぐ存在。上級コースでは、私たちは死のリハーサルというものをするんですけれども、それはどういうことかというと、実際に、自分が死後の領域を知らなければナビゲートしていくことができないので、その領域をまず自分で旅するということです。このワークといのは、自分の身体がすごくエナジャイズされ、イキイキしてくる仕事なんですね。とても喜びに満ちた仕事です。 
 一般的に、死のイメージとして考えられている否定的だとか、何か気味が悪いとか、そういう感覚は一切ありません。死後の領域に旅する、ナビゲートするために旅をすることは、とても喜びに満ちた、エネルギーが満ちてくるような、そういう仕事なのです。
和田:  それは、ケヴィンが仕事に関わることに対してという意味ですね。
ケヴィン:  多くの参加者たちも、自分がやってみれば、力に満ち溢れるようなことがあります。というのも、いわゆる「死」というものは存在しないんだということを体感して学んでいくことによって、死に対する恐れから自由になっていくということです。
 そうすると、死への恐怖に駆られながら、ずっと現実世界で生きていく必要がなくなってくるんですね。自分の人生をより完全に、より満ちあふれた状態で生き、怖れに左右されて生きていくことはないという意味です。こういう死後領域とか、そういうものに関する知識というものが、限られた人だけに与えられるものではなくなってきているということですね、昨今では。
和田:  昨今、そういうことが一般的になってきているというのは、なぜなんでしょうね。
ケヴィン:  時代がそういう風になってきているということですね。人々はより教育を受けていますし、より時間を持っているということでしょうか・・・つい最近までは、私たちは食べていくこと、胃袋を満たすことが人生の主な活動で、そのために時間とエネルギーをすごく使っていたんですね。今となっては、多くの人が自分の心の旅というんですか?そちらの方に、意識を持って行くことができるようになってきている。
和田:  例えば、シャーマニスティックな世界でいうと、あまり物質的な文明が発達していない所では、特に伝統としてシャーマニズムが残っていて、そこではシャーマンがいろんな役割を持っていると思います。
 シャーマンは、意識的世界を旅して、人々に情報をもたらしたり、病気を癒したり、意識的世界の通訳的な役割もあると思うんですが、ちょっと見方を変えると、インターネットがここまで発達した世界では、かなりのレベルまで自由に情報にアクセスできるし、自分を深めようと思えば、チャンスもいくらでもある。ある種、一人ひとりがシャーマン的な世界、部分を持ち始め、開かれてきているように思うんです・・・
ケヴィン:  その部族でのシャーマン、シャーマニズムというものは、シャーマンというものはいるけれど、部族の人たちもシャーマニズム的な知識は持っています。けれども、シャーマンというのはその中でスペシャリストだということです。
 シャーマニズムの何が素晴らしいかといいますと、シャーマニズムというのは、完全にスピリチュアル的に「自律」した存在であること、それがシャーマニズムの素晴らしいところなんですね。なので、何か本を読んだりとかお坊さんに教えを乞いに行ったりとか、そういうことで学ぶのではなくて、個人個人が、自ら他の次元にアクセスすることで、自分で答えを掴み取って学んでいくことができる。それがシャーマニズムにおけるシャーマンです。
 実際に、自分でやっていく過程は、ちょっと驚くくらい簡単なんです。モンロー研究所の創始者のロバート・モンローは、本当の意味でシャーマンだったと言えると思うんです。というのは、彼は教義とか、人に教えを乞うたりとか、そういう風にして理論を打ち立てていったのではなくて、すべて一人で、自分で意識の旅をして、体系立てていったんですね。ロバート・モンローは自分で体外離脱をして、他の次元へ意識の旅をし、そこで誰かに聞いたりとかではなく、直接自分で教えを掴んできたわけですね。
 誰か他の人のインストラクションや教えに沿って、または頼ってやっていったわけではありません。後に彼は、ヘミシンクというシステムを創りあげましたが、それは人々がよりそういう他の次元、多次元的な意識になり易いようにサポートするために、このヘミシンクというものを開発したんですね。でも、彼自身は自分で教えをつかんでいくためにヘミシンクを使っていたわけではないんです。彼には必要なかったんですね、ヘミシンクは・・・そういう意味で、ロバート・モンローという人はシャーマンであったと言えると思います。ほとんどのシャーマンたちは、意識の旅をするときに、ドラムのビートを使いますよね。単調な一本調子の音を使うんですけども、そのドラムビートによって、シャーマン的な意識状態に意識をシフトして、そこで、非日常的な、また非物質的な情報を得られるようにするために、ドラムビートを使います。意識の変換のために。
和田:  これは、世界中どこもですよね。
ケヴィン:  そうですね。とても共通のものなんですけれども、おそらくドラムビートによって、個人の意識がシーター波のレベルに誘導されていくのではないかと思います。
和田:  木魚もそうなんですかね?
ケヴィン:  そう、とても似ていますね。
おそらくシャーマニズムの影響だと思うんですけれども。
和田:  それぞれの話がとても興味深くて、全部ケビンの活動もとても深いので、本当に1日中話を聞いて見たい感じですが・・・笑
ケヴィン:  OK!・・・笑

ひとり一人に、スピリチュアル的な「自律」が必要な時代
和田:  自分の人生を生きるということは、今の時代に非常に大きなテーマだと思うんですね。例えば、こんな言葉があって、僕の友人が言っていますが「ご飯を食べるための仕事はライスワーク、自分の人生を生きるためはライフワーク、自分が光になって輝くのはライトワーク」って言ってますが、先ほどのケヴィンの話にすべて共通する視点だと思うんですね。やっぱりシャーマニズムにしても、自律するということと、自分が自分の人生を生きるということは、非常に共通点があって、やはり誰かに教えを請うとか、宗教は否定はしないけど、誰か言っていることを丸ごと信じるということではなくて、自分が簡単にアクセスして、誰でも情報を得られるし、自律していくことができるということを知ってもらいたいですね。
ケヴィン:  宗教というのは、いつでも誰かが悟ったとか思ったとか、そういうことの又聞きになってしまいます。自分がそれを体験したというよりは、その宗教が古いものであればあるほど、それは人の手に渡り続けて、又聞きの又聞きになってというように、人の手をたくさん経てしまうということですね。それに対してスピリチュアル的な自律ということは、まず、最初の生(なま)の情報を自分が直接受ける。生の啓示を直接受けるというのが、スピリチュアル的な自律性というふうに思います。
和田:  例えば、魚を貰うんじゃなくて、魚の釣り方を、ケヴィンはみんなに伝えていくということですね。
ケヴィン:  うん。そうですね。
和田:  いろんな考え方があると思うんですが、僕は、すべての現象は必然的に起こっていて、すべて完全だと思うんですね。一見不都合なことやある意味その人にとって悲惨な出来事もすべて完璧だと思っています。例えばその観点からいくと、誰かが僕に何かを話したとして、それすらも、すでにシャーマニスティックなレベルで、僕に何かしら、情報がきている、語られていると捉えられますよね。それは、人だけではなくて現象も・・・
ケヴィン:  シャーマンは、人生、生活そのものからメッセージを受け取ります。そこで、シャーマンの素晴らしいところは、自分でその出来事の意味付けを探るというか、例えば、部屋の中でベルが鳴ったら、自分にとってそれはどういう意味があるのかということを自分で探す人です。
和田:  シャーマンは、多次元的な世界にアクセスできる能力者だったり、訓練を受けていて、よりセンシティブな情報にアクセスできる存在という風に考えていいでしょうか?
ケヴィン:  いくつかのことが心の中に思い浮かんできたので、ちょっとお話させてください。
 まず、精神的な自律性について、何でもかんでも一人でやるんだという風に言っているわけではないんです。人と協力して、また、システムも協力してやるということはもちろんあります。そして、コミュニティーの中でも、シャーマン自身が自分に助けが必要なこともありますので、それは排他的な自律ということではなくて、もちろんコミュニティーの中に、ちゃんと盛り込まれている自律性という意味ですね。
 そして、シャーマンの定義についてですが、シャーマニズムの実践者っていう言葉がまずあります。私自身は自分をシャーマニズムの実践者というふうに呼んでいますけれども、それは、シャーマニズムを実際に、実践している人ですね。狭義の意味での定義ということになりますと、シャーマンというのは、上の世界「上方世界」または下の世界「下方世界」に旅をする人といえます。これらは、天国のような世界、ヘブンリーワールドっていう風に言えるんですが、天国とは断言せずに、天国のような世界といいますか、そういう世界、上方世界・下方世界、天国のような世界には、私たちにとって有益となるような存在、私たちを助けてくれる存在たちがいます。ところで実際の部族のシャーマンたちというのは、自分のことを「シャーマン」とは呼ばないんですね。
 「シャーマン」という呼び方は、そのコミュニティーのシャーマン以外の構成員たちが、その人物が多次元的な情報をこの世に持ち帰って、それを部族の共同体で有効に使えたと、とても有益な結果を出したと認めた時、その結果として周りの構成員たちがその人物を「シャーマン」と呼ぶようになるので、自称シャーマンということは起こらないんですね。
 周りの人たちが、そういう意識の旅をする人物のことをシャーマンと呼ぶようになる。何か問題があった時に、そのシャーマンが効果的な結果が出せなかった場合、人々はその人のところにものを頼みに行かなくなるわけです。でもそれはいわゆるお坊さん、僧侶たちのケースにはあてはまりません。多くの場合、シャーマンはきちんと結果を出せない限り報酬ももらえなかったりもしますけれども、もしも昨今の医者で、良くならなければ報酬が得られないとなったら一体どうなるでしょうか?・・・笑
 そうなるとシャーマンで在り続けるとなるとかなり基準が高くなってくるはずです。今は部族内のシャーマンの話をしていますけれども、それに対して僧侶というのはですね、通常、お経や祈りを捧げるのが主な仕事ですけれども、それに対して効果があったかどうかは確定でない、わからないわけですよね。
和田:  ええ。
ケヴィン:  なので、そこがシャーマンと大きく違います。何か冠婚葬祭のときは、その場に来てくれて儀式をして、そして祈りを捧げてもらうわけですけれども、そこで効果があったかどうかは期待もされていませんし、それを確認する手立てもないわけですね。衣装がすごく良かったとか、すごくいい声でお経をあげたとか、そいうことを見られるかもしれませんけれども。もちろん、肯定的な意図のもとで行われた祈りというのは、ある程度、次元を超えて通じるわけです。ですからお坊さんの中には、ただただ機械的にお経を唱える人もいるかもしれませんが、それでも、本当に少しかも知れませんけれども、肯定的な影響というのは次元を超えてあるわけです。これに対して、シャーマンというのは、自分で次元を超えていくわけですね。直接、次元を超えて直接行って帰ってくるわけで、そこがお坊さん、僧侶とは違う点です。

和田:  実際に2日間のコースを体験して、ローワーワールド、アッパーワールドをちょっと旅してみたんですけれども、僕は、シャーマニズムに対してとても自然なことだと思うんです。リアリティがあるっていうか・・・でも、それは単なるイマジネーションの世界じゃないかと言われてしまえばそうかもしれません。
ケヴィン:  まず、イマジネーションという言葉自体を見てみましょう。イマジネーションという言葉には、たくさんの関係する言葉があるんですけれども、イマジナル=創造的な、空想的な、インスピレーション、または直感。まずこのインスピレーションにしても、直感にしても、イマジネーションにしても、この物質世界の目に見えるものから発散、発信されているものではありませんね。実はそれらの直感、インスピレーション、イマジネーションは類似したところから、類似した意識状態から発信されてくるんです。不幸なことに現在の教育システムというのは、この五感の領域の意識に常に集中しているように、そしてこの非物質的な、非日常的な意識状態にならない様にと、子どもたちにそういう風に教育し続けていますね。授業中にボーっとしてはいけない。白昼夢を見てはいけない。そういう風な教え方、教育の仕方をし続けることによって、直感とかイマジネーションとかインスピレーションが来る元である意識状態にならない様に、なってはいけないという風に教育しています。
 私もシャーマニズムの訓練を始めた当初というのは、いろいろな自分の体験に対して、これは単なる空想ではないかという風に思っていました。でも、そういう白昼夢のような、空想のような、そういう意識状態を何回も体験しているうちに、そういう意識状態で得たものの中に、いくつか後からきちんと確認が取れるような、そういう事象が混ざってくるんです。ただ日常生活を生きていくためだけだったら、そういう直感的本能的なインスピレーションはいらないんじゃないかっていう人もいるかも知れませんが、これはとても残念なものの見方だと思います。
 科学者によると私たちは、脳の3%しか使っていないと言われていますよね。でも、残りの97%というのは何か意味があるはずなんです。確かに、ただ食べて、飲んで、動物のように生活を維持するという、そのためだったら3%でいいかもしれません。または、日常的な事柄を分析的、理性的に生きていくためだったら、その3%で間に合うんですね。
 私が思うに、この残りの97%というのが、多次元的な活動をする部分ではないかと思います。私たちは、この肉体的に宇宙意識を体現化させる、そういう許容力、または潜在能力があるんです。その可能性に対して、多くの人々は眠ったままなんですけれども、私たちは、その可能性にまだ気がついてないということが原因で、この世の中の「怖れ」と「欲」というサイクルの中に埋没してしまっているのです。
 私達 はこの世界に人間としての体験をする為に来たとよく言われていますが、実際にいざこの物質世界に来てみると、あまりに魅了されてしまい、あまりに夢中になってしまい、意識が物質の周りに収縮していってしまうのです。そして物事を非常に深刻に捉え始め、怖れと欲の輪の中に入ってしまうのです。それはまるでハムスターが車輪の中でくるくると走り続けているようなものです。走っても走っても、どんなに走っても何処へも行けません。私達は欲しいもの全てを手に入れる事は出来ないし、怖い事全てを避ける事も出来ません。肉体の人格レベルでは、これらの事全てがひどく深刻に捉えられてしまうのです。これが原因で私達は文字通り地球での体験の中毒になってしまいます。輪の中を走るハムスターのように、恐れと欲の間を走り続ける事への中毒です・・・。 そして、そうこうしているうちに死が訪れます。その状態で死にますと、ほとんどの人たちは、死の準備ができていませんね。生前の世俗的優先順位や価値観というのは死後の世界には適用できないんです。それらは有効ではなくなります。この様に、生前の欲と怖れの意識状態のまま死後の世界に入ってしまうと、本来のより大きな真実の記憶を思い起こせなくなってしまうのです。つまりその様に麻痺した中毒状態では、死後の道のりを上手く進んで行けないのです。
その結果何度でもまたこの地球のホログラムゲームのシステムに引き戻されてしまう、または戻って行ってしまう。自らそのサイクルの中毒になってしまうわけですね。そうすると、またネズミの輪っかの様にくるくる回ってということの繰り返しになってしまうんです。
和田:  これは、カルマ、輪廻転生としてですか?
ケヴィン:  ここでカルマという言葉よりも、もしサンスクリットとか、ヒンドゥ語の語源で言うならば「サムスカーラ」という言葉の方が、今の現象を言うには適していると思います。また再び欲と怖れのサイクルに戻って行ってしまう、その中毒になってしまうその原動力となるのは、サムスカーラというふうに言えると思います。ここではおそらく、宇宙が始まるその最初の現象の伝説ですね、その話をするのがいいかと思うんですが・・・
 多くの部族の伝統の中に残っている言い伝えというのは、この世の創生ですね。というのは、神の夢としてこの世界は存在している、又は神が見た夢がこの世界になったと言うものです。私達は神の夢の投影である、私達は神の見ている夢の中に存在している、と言われています。創世時の世界というと、まあ簡単にいいますと聖書の中でエデンの園という話が出てきますね。すべての動物、人が同じ言葉を話していたという時代です。もともとはそういう世の中だったんだけれども、この投影された夢の現実世界が、なぜか何らかの原因で怖れと欲に汚染されてしまった、またはそれが入り込んでしまった。残念ながらその怖れと欲がどんどん蔓延してしまった。それでその欲と怖れというものは、それが蔓延すればするほど意識というのは収縮していくんです。欲と怖れは意識を収縮させますから、そのうち本来の自分の記憶、もともとの真実の記憶というものが失われていった。それで意識が収縮した状態でずっと怖れと欲のサイクルにはまり込んで、挙句に中毒化して繰り返している。これは、ロバート・モンロー氏も同じ見方をしていました。ロバート・モンロー氏も、このように何度も何度も戻ってくるのは一種の中毒であるという風に言っていました
和田:  今の東京なんかも特にそうかも知れないですが、とても中毒化しているような気がします。
ケヴィン:  大きな都市というのは、本当にそうですね。でも、自分が誰であったかを思い出せれば、私達は物質世界をも楽しみ、しかも中毒にならないでいられるんです。

「自分は宇宙だったんだ」ということを思い出してほしい
和田:  多くの人が本当の自分を生きていない。やりたいことをやって生きていないと思うんです。やりたいことをやって、自由に生きることができている人は、ほんのわずかですよね。自分らしくやりたい人生を生きていないと言うことは、誰かのために生きている。誰かの要求を満たすために生きている。それでは、本当の自分を生きていないわけです。
 先ほど、僕たちは、脳の3%しか使っていないって話がありましたが、その3%のほとんどを他者の要求を満たすための生き方をしている。ケヴィンの話で非常に面白いのが97%の脳は、多次元世界にアクセスするためにあると。
ケヴィン:  かも知れないですね。
和田:  たった3%で、この物質的な世界を生きるというのは大変なわけです。可能性だけど97%の脳が多次元世界にアクセスするためにあるということは、意識世界のために97%がある。実際には、僕たちはいつも意識しているわけで、意識的世界そのものを生きていると言ってもいい。意識的世界に生きているということは、結局、どっちがリアリティかって言うと、やっぱりこっち(意識的世界)が本質的なリアリティだと思うんです。
ケヴィン:  その通りだと思います。偉大なるマスターたちは、意識のみで私たちの現実に影響を及ぼすことができているわけです。例えば、サイコキネシスなどもそうですけれども・・・
和田:  なるほど・・・だから、操作するのではなくて、影響を与える!
 思いは実現するという言葉があります。ネガティブなことを思うとネガティブな現象が起こる。それで一番いいのは、無関心、何も起こさないこと。つまりニュートラルでいると何も起こらないけど、必ずどっちかに振れてしまう。
ケヴィン:  ニュートラルでは、喜びという部分を逃してしまう様な気がしますけれども。
 私にとってこの世の中というのは、神の遊戯ですね。なのでニュートラルにずっといると、踊っていない、遊戯していないかなっていう気持ちがするんです。
 それに関係あるお話を話したいんですが、先ほどの思いが実現するということに関して言えば、実は、セーフティーネットというか、安全装置みたいなのがありまして、ネガティブな思いを描いた時は人の意識というのは収縮するんです。ですから、収縮したエネルギーはあまりパワーがないので、実現化の力が弱いんです。肯定的なものと比べると実現力が弱いという、それは安全装置みたいなしくみがあるということです。
 ある人が、愛と慈愛と共感に満ちた意識状態でいると、ものすごく意識が広がるし拡大するんですね。ほんの数人でもそういう意識状態の人たちの存在があれば、何百というネガティブな意識状態があったとしても、それを相殺できるんです。同じ数ではなくても、愛とか肯定的な力は、広く、そして強く影響するんです。
和田:  カウンターバランスですね。
ケヴィン:  はい。ネガティブな意識を持つにせよ、ポジティブな意識にせよ、外界に影響するんです。でも、例えば、地下鉄の中に閉じ込められて、誰かに対して私が腹をたてたとします。すでに、腹を立てたという時点で意識は収縮しているんですけれど、本当にポジティブな意識状態にいる時よりも、影響の範囲、または強度というのは少ないですね。
 残念なことに、ニュースとか広告というのは、人々に怖れを伝搬させますし、広告というのは、欲を人々に伝搬させます。なので、それにさらされ続けている私たちの意識というのは、収縮しやすくなっているんですね。収縮すると分離感が生まれてきますから、分離しやすい、または分離した意識を持ちやすい状態になってしまっています。
 私は以前、最低1年に1回は第三世界といいますか、そういった所に滞在したいと思い、実際に滞在していました。それは、自分が本来どういう状態だったかということを忘れないためですね。例えば、ネパールとか南アメリカでバスに乗ると、そういうバスの中で人々には一体感が生まれるんですね。一緒に僕らは旅行をしているんだ、旅をしているんだ、一緒にバスに乗っているんだという一体感が生まれていて、お互いに話したり、食べ物を交換したり、そういう行為が生まれるんです。それに比べて、山手線なんかに乗りますと、誰も目を合わせようとしませんし、誰もコンタクトをとってこようとはしませんね。東京は、1000万人も人がいて、人々はどれだけ孤独なんだろうかと驚かされます。

和田:  なるほど・・・
 ケヴィンの活動はとても興味深くて、本当のリアリティというものを、みんながリアリティと思っているこの世界に取り戻すというか、それは、個人個人でしか取り戻せないと思うんですね。
ケヴィン:  自分自身の責任において、自分自身の力で責任もって取り戻すということですね。
 本来は、リモートヴューイングにしてもサイキックにしても「何でやるのか、何でそれが可能なのか」という話があるんですけれども、わかりやすく、表層部分から話をしていきましょう。
 一番大事なことがあるんですけれども、意識というものと、宇宙っていうものと、それから、あなたというものの間には、何の相違点もないんです。その3つは一つの場(フィールド)であって、分けて考える事が出来ない。ひとつの連続体なんです。そこがまず一番大事なところなんですね。
 多くの人が「リモートヴューイングはすごいと思う」「私もリモートヴューイングをやりたい」と言います。ではどうしたらリモートヴューイングをすることが可能になるのでしょうか?その答えは、「あなたが自分を何であるか、自分を誰であると思うかによって、可能かどうかが決まるんです」と答えます。もしあなたが、自分自身のことを猿だと思っていたら、リモートヴューイングはできないでしょう。もしあなたが、自分自身が宇宙だ、宇宙そのものなんだということを知っていれば、もう宇宙には何の謎もありません。何の秘密もないんですね。
 
 私は色々なコースを行っていますが、すべてのコースを通して一体私は何を伝えようとしているのかというと「あなたは宇宙なんですよ」という、そこを思い出して欲しいということなんですね。
 リモートヴューイングにしても、シャーマニズムにしても、ヘミシンクにしても、すべてのコースはそれぞれ違う角度からのアプローチによって、皆さんに「自分は宇宙だったんだ」ということを思い出してほしいのです。その同じ一つの目的のために、いろいろなコースをやっています。
 インドのウパニシャッドに、アートマン=ブラフマンというとても大事なことが書かれています。個人の魂の意識と宇宙意識は、常に同じ織りなすものであるということです。ただ、アートマン(個人意識)は、一時的に分離していると思い込んでいる、ただそう思い考えているだけのものであって、本当はアートマンとブラフマンは一つである。私たち個人の意識というのは、ものすごい労力を使って、自分は個人なんだ、自分は分離しているんだ、一つ一つなんだという空想を維持しているんです。 ものすごい労力を要しているんですよ。私たちは、この空想エゴ構造を維持するために使っているエネルギーや努力を撤退させていく、引っ込めていくことがプロセスとして必要なことです。
 スピリチュアル的な教えの中で共通の、一番大事なことというのは、このエゴ構造は幻想だということです。それは架空のものです。それを思い出すことが大事なんです。
 曹洞宗の道元は、座って座って、座り続けて、最終的にアートマンとブラフマンが一つだと気づくに至った人です。密教とかと比べると、座禅というのはすごく
 険しく厳格な道なので、座禅を通してアートマン=ブラフマンという意識状態に到達するのは至難の業なんですけれども。一方密教というのはとても面白いもので、シャーマニックな背景から発展したということがあります。曼陀羅というものも、トンネルですね。シャーマンが上方世界、下方世界に行くときに使うあのトンネルをモチーフに発展したんじゃないかと思います。
 曼陀羅の形とか色自体が人をある種の周波数帯に連れていける、そういう力があるということです。密教は元々インドで生まれたものです。ある人がある次元に旅をして、他の人のために、どうやったらまたその次元に行けるのかを示すために創り出した地図、道しるべのために残したもの、それが曼陀羅じゃないかと・・・それで、他のレベル(次元)というのは原型的なレベルであったり、そういった様々な意識レベルですね。神のレベルや伝説のレベルといった様々なレベルがあるんですけれども、または精霊のレベルですね。そういうアーキタイプ、原型を代表する存在たちと私たちというのは、実は分離した存在ではないんです。彼らは私たち自身なんです。曼陀羅の中に描かれている様々な存在たちがいますけれども、それは特定の周波数なんですが、 私たちは瞑想を通してそれと共鳴していき、最終的に共鳴するのは曼陀羅の中心の存在ですね。曼陀羅の中心と共鳴できるようになるために、瞑想していくんですけれども、中心というのは宇宙意識です。なので、大日如来と皆さんの間には分離はありません。あなた自身が大日如来なんです。

マスターたちは、みんな穏やかで、調和的であるとは限らない
和田:  人には性格や個性がありますよね。
ケヴィン:  はい。
和田:  意識のバイブレーションが粗いと、その人の性格、個性が出やすくて、分離感が出やすいと思うんです。
 意識が非常に精妙になっていくと、たぶん高まっていくとか、広がっていくいう風に言うとわかりやすいと思いますが、非常に精妙になっていくと、性格や個性が消えていって、統合されたひとつのパーソナリティになっていくと考えています。
ケヴィン:  ある人がこう言ったんです。「自分はマスターの周りにい居たい、マスターと一緒に時を過ごしたい。」って。なぜかと言うと「マスターというのは意識の高いレベルに到達した存在で、一緒にいると穏やかで幸せになれそうだから」と。これは私が気づいた面白い現象で、特に東アジアで顕著な気がするんですが、もともとインドとか中東で生まれたものが、いろいろな文化圏を通して伝搬されて行く中で、ある意識レベルに達した人たちというのは誰でも共通して非常に穏やかで、そして非常に調和的である。何故かそういう人になっていくという、そのような共通した印象があるんですね。そう思われがちなんです。しかし、自分の個としての存在がもう本物ではない、ただそこにいて役割を演じているだけだということを知っているマスターたちの近くに居るという事は、並大抵のことではありません。
 私が実際についていた師ですとか、マスターたちというのは、近くにいると大変やかましいと言いますか、多くの人がイメージするような穏やかな人たちではなかったんですね。マスターたちの存在自体が、存在しているだけで、周りの人間たちのエゴを浮上させてくるんです。そうすると周りにいる人たちとしては、内面の葛藤が表面化してきて、非常に苦しくなる。 
 ブッタにしてもそうでしたが、彼の存在自体が、周りの人たちの中にエゴの問題とかをいろいろ浮上させてくるので、マスター達はその、当たり罰(ばち)というんですか、逆恨みの対象というのでしょうか、周りの人間からひどい人だと思われたりすることがあります。マスターたちの高い周波数のフィールドの中では、虚構のエゴ構造は生きていけないんです。内在していた問題が浮上し、燃やされていくこの過程で、エゴとか勝算とかが入り混じった感情がたくさん出てきます。人によっては苦しくてマスターのそばにそれ以上いられません。そんな風に、自らの内側外側に波風を立たせられるので、とても一緒にいて穏やかだとか、そういう感じの所まではいかないというか、逆に穏やかどころかとても問題がいっぱいあったりするという現象がありました。
 このようにマスターは、その存在自体で、周囲の人間に大きく作用しますから、ことさら社会に物議をかもしだす役割でなければ、多くのマスターたちは、あえて人前に出なかったり、人里離れていたりします。
和田:  以前ハイラカン・ババジに関する本を読んだんですが、最初は驚いたんです。聖人のババジが、とても人間臭くて、エゴイストで、意地悪な存在のように思えて、このババジという存在は本物だろうかと疑いました。ババジについて、どう解釈するかは人それぞれだと思いますが、ケヴィンの言うように、聖人というのは静かに瞑想をしている様な人だと思っていました。
ケヴィン:  はい。
和田:  でも、あの本に出てくるババジは、本当に意地悪で、聖人とは思えないような所もあって、一部だけを見れば、怪しい偽物のマスターのようにも感じられる。
ケヴィン:  ハハハ・・・笑
和田:  いろんな有名な聖人もいるし、無名なマスターもいるけれども、その人の前に行くと、自分の内なるエゴとかそういったものを見せられる。まあ、それは、相手が聖人であるいかんを問わず、自分を見つめることができなきゃいけないんだけど・・・
 本物か偽物かというレベルで見るのではなくて、自分がなぜそのように感じているのかを見つめるために、外的な存在があって、本当の自分と調和していれば、それがババジのような聖人であろうとも、そうでなくても、得るものは同じかもしれないけど・・・やっぱり、頭、思考で判断してしまいがちです。自分は何者なんだということを、すごく教えられるんだろうなと思います。
ケヴィン:  私もそう思います。
和田:  非常に深い話ですが、ケヴィンの活動の深い部分が理解してもらえたかなと思います。

多次元的な意識にアクセスできれば、
世界はもっと楽しい冒険の世界になる。
ケヴィン:  先ほど、アートマンとブラフマンの話があったんですけど
和田:  はい。
ケヴィン:  個としての自分のエゴ、または個人の意識というものがありますが、アートマンがブラフマンであると気がつくために、いわゆるエゴを打ち崩すとか、打ちのめすことは逆効果なんですね。なぜかというと、そういう事をされるとエゴというのは余計現実を意識し始めますので。ではどういう風にしないといけないかというと、私達は自分はこうだとか、自分のパーソナリティだとかを、維持するために一生懸命個という部分にエネルギーをパックして、そのエゴ構造を保持するために労力を使っているんですが、その努力を辞める事ですね。そうすることによって自分を個とたらしめているエネルギーを撤退させていく、 抜いていくというお話をしました。そうすることによって、これは虚構だったんだとアートマンが気づく。純粋な意識に気づくには、そういうやり方でやるべきだと思います。。
和田:  それは、見つめる事ですか?何とかしようとするのではなくて、エゴを見つめ味わう。
ケヴィン:  それは、大きなトピックですね。
 そのためにいろいろな方法があります。仏教的な言い方をすると「エゴを殺す必要はない」。エゴとは、そもそも強硬なのだから殺す必要はないという。
 エゴに抵抗するとかえって増大させてしまう。なので、エゴという構造を保たさせているエネルギー自体を撤退させていく方法という事になるんですが、例えばシャーマンとかヘミシンク、モンロー研究所の実践者たちに言えることは、シャーマンだったらアッパーワールド、ローワーワールドに行きますよね。これは次元間の旅です。またはヘミシンクで多次元を旅します。そうやって何回も何回も多次元的な旅をしていると、自分のこの次元でのパーソナリティというものがすべてではないことに気がつくんです。この次元だけの自分が本当の自分ではなくて、実は、自分は更に大きな多次元的な存在だったんだ、そのすべてが本来の自分なんだということに気がつく。そうすると個の限られた、この次元だけのパーソナリティというものに執着する必要がなくなってくるんです。それがエゴを撤退させていくことに繋がっていくと思います。
 窓から見る景色の中のおびただしい数の人たちというのは、何を恐れているかというと、この猿の肉体をですね、このモンキーボディを失うことを恐れているんです。その怖れが人生をものすごい勢いで蹂躙(じゅうりん=踏みにじる)しているんですね。それが人生をコントロールしているんです。ですから、普通と言いますか平均的な人たちが、多次元的な意識にアクセスできる手法を学べば、自分の物質次元の身体を失うことが怖いという、そこに執着する必要がどんどん、どんどん小さくなっていくんです。そうすると世の中というのは、もっともっと楽しい場所になってくるんです。それはもう楽しい冒険の世界ですね。そもそもなぜ世界や宇宙がこういう状態で起こっているか、なぜ星があって惑星があって、なぜ地球があって動物がいて私たちが生きているんだろうと、そこに来るんですが、神がもし、まだ姿を現していない純粋な意識なのだとしたら、どうして私たちはこんなに問題に囲まれてあくせくしていかなければいけないんでしょうか?なぜこの統一性、一体がそもそも分離というものをはじめて、分離したあげくに、自分たちが一つだったということを忘れなければいけなかったのでしょう?これは、究極の質問ですけれども・・・笑
 これは、答えを見つけることをあきらめるべきではないんです。
 一つの見方ですけれども、これは「忘却」して、「思い出す」という、ものすごく壮大な冒険なんですね。忘れてしまう、そして、本当に忘却してしまったことをまた思い出す、その冒険。
 まず、一つの見方ですが、ユニティ=ひとつなるものがあって、神のレベルがあって、そして、アーキタイプ=原型があって、エンジェルの領域がありますね。そして、スピリッツがあって、物質の領域があって、そういう風に分離があり、この次元に至ってはものすごい分離があります。私たちはこの現実で、ものすごい分離を体験しています。それで、この世でいろいろ大変な思いをしているうちに、私たちは一つであったという記憶を思い出さざるを得ない、思い出す方向に行かざるを得ない、そっちの方向に強制されるわけですね。 
 自分=ユニティ、ひとつなんだということを思い出した達人たち、マスターたち、聖人たちは、例えこの世の問題のさなかでも笑うことがあるんです。この世の中というのは、一旦そのような意識状態を手に入れた人にとっては、素晴らしい冒険なんです。例え何か大変なことが起きていようとも。だからシリアスな問題が起こっているさなかにでさえ笑ったりする。なので、逆にそういう意識状態でない人たちからは、厄介ものとか、トラブルメーカーのように受け取られてしまうんですね。
和田:  なるほど〜・・・よくわかります。
ケヴィン:  時に聖人たちは、お葬式で笑ったりもしますからね・・・笑
彼らは、死なんかないとわかっていますから。肉体が無くなった人と依然コミュニケーションが取れているわけですから、その聖人たちというのは・・・でも、そうでない意識状態の人たちからすると、お葬式で笑うなんて不謹慎だってことになる。「あんな奴、摘み出せ」と・・・笑
物質次元の命とは尊いものです。でも物質次元でのあなたの命は、あなたのトータルセルフのほんの一部分に過ぎないんです。

本当にそれを望めば、スピリットガイドは聞いてくれる。
和田:  とても面白いですね。ところで、いろんなお話しを聞いてますが、ケヴィンがいまの活動に至るきっかけになったことは、どういうことでしょうか?
ケヴィン:  今生でのことですよね?
和田:  フフフ・・・今生でお願いします。
ケヴィン:  笑・・・そうですね、子供の頃から自然に体外離脱をする様な子供だったんです。これは、特に変わったことだとは思わないんですけれども、みんな子供の頃というのは、夜寝ている時なんかは、ごく自然に五感を超えた領域にいっているんだと思うんですね。寝ている時に、私たちは自分が自分を誰だと思っているか、自分が自分だと思っている自分というものを手放しやすくなっているんです。意識自体が多次元、他の次元に旅しやすい状態になっています。目が覚めた時に、それを覚えている人と覚えていない人がいるんですけれども。そしてこれは、あなたはあなたを誰だと思っているでしょうか?自分は何者だと思っているでしょうか?という問いにすべて帰着していくんですね。
 中国の哲学者の荘子は、ある時、自分が蝶になった夢を見たんです。目が覚めると自分は人間なんだと気がつく。そして、私は本当はどっちなんだろう?と疑問に思ったんです。本当は人間になった夢を見ている蝶なんだろうか?または、自分は蝶だったという夢を見ていた人間なんだろうか、どっちなんだろうか?という風に。 私は、その両方が本当なんだろうと思うんですね。私たちは、深い眠りにいる状態の時というのは、思っている自分に縛られずに、意識は自由に次元間を旅します。
 深い意識状態から物質世界に戻ってくる間なんですけれども、物質世界の意識状態と深い意識状態の時というのは、あまりにも違うので、こちらの物質世界の意識は、その意識が深い状態の時の現象とか、体験した時の事とかを拒絶するんですね。それでそれを覚えていないことを選択してしまう、そういう問題がありますね。柔軟な性格の人は、深い意識状態での事を、物質世界での意識状態でも覚えている事が比較的容易なんですけれども、すごく杓子定規な人、真面目な人とか、かたい人のようなパーソナリティだと、そこを覚えていられる様になるのに、非常に助けが必要になります・・・・・じゃあ自分の話に戻りましょう・・・・笑
和田:  そうでしたね・・・笑

ケヴィン:  話が少し脱線しましたけれど、子どもの頃に体外離脱をしていたというのは、何も特別なことじゃないと思っていたんですね。そして、体外離脱体験というのは、その後もずっと自分の中で起こり続けていたんですね。でも、なぜか自分の中で、ガイダンスと言いますか、そういう導きがあって、まだ人に話す時期じゃないよという、そういう風に何か言われてたんですね。
 小学校2年生の時に起こった事なんですけども、それまで自分の周りにいた友達同士は、お互いの思いを言葉に出さなくても通わせていたのに、その頃になると、自分の思いを誰もそういう方法では聞いてくれなくなっていることに気がついたんです。私にはみんなの考えや思いがまだ聞こえてくるのに。ショックでした。そういう風になっていったんですね。
 その頃から周りの子供たちの敏感さとか感受性というものが段々薄れて行って、エゴが強くなってくる。そんな風に私は感じていました。皆がどんどん閉じていき、私はとてもさみしかった。それで4年生くらいになると、おそらく90%くらいの周りの友達、同じ年の友人たちは、言葉でないとコミュニケーションが取れなくなっていたと思います。それで、中学生くらいになると、私自身も周りと協調していくために、自分の能力というものを閉じていかなければならなくなりました。その後の6年間ぐらいとうのは、私にとってスピリチュアリティが冬眠していた時代です。
和田:  それは、ケヴィンが社会性の中で閉じこもっていったと言うことですか?
ケヴィン:  はい。
そういう話をすると、周りの人たちが心地よく思わない、嫌われるんですね。
和田:  さっき、小学4年生の頃の話というのは、それまでにほとんどの周りの友達は、だんだんと閉じていったわけですよね。でも、ケヴィンは閉じなかった。
ケヴィン:  そうです。他の子供たちは、小学校2年生とか4年生で閉じていきました。私はみんなよりも遅かったけれども、最終的には閉じたということですね。
 そんな流れの中で、高校を卒業した夏休みに、交換留学生で海外に行ったんです。それで何が起こったかと言うと、高校生でもあったので、決まった服を着なければいけないとか、あれをしないといけない、これをしないといけないとか、社会的な規約にすごく詰め込まれていたんですが、そこからすとんと抜け出られたんですね。
 私の国の文化とか親や学校、という3つの枠の縛りから、交換留学によって抜け出られて、17歳の時だったんですが、交換留学中の2ヶ月の間に、ものすごい量の意識の目覚め、開花があったんです。千里眼的な透視、何か見えないものが見えてしまうとか、または、サイコキネシス、念力的な力とか、次々に、突然爆発的に開花していったんです。しかし、その留学から帰国したら、パッたりとそうした能力がまた閉じてしまいました。それはショックで、混乱しました。
 そして、自分にとって、これは一体何だったんだろうと思ったのが、真実を求めるきっかけとなりました。これには何か大きな宇宙的な背景があるのだろうかと・・・・ 結果的に、東洋の文献を読むようになったり、東洋の神秘論ですとか、東洋哲学や東洋思想というような本を読むようになったんです。西洋にも密教的な伝統というのはあるんですけど、この時点での私は、そこには気づいていませんでした。東洋の密教思想とか、そういう本を読み始め、それでアジアに行こうと思いました。

和田:  では、アジアへの旅というのは、単なるバックパッカーではなくて、どこか教えを請いにグルの所に行ってみようとか・・・
ケヴィン:  まあ、いわば求道者ですね。
 天が私の思いを聞いてくれました。本当にそれを望めばスピリットガイドというのは、聞いてくれます。まあ、あきらめなければならないものもありましたけれど。私は、アメリカでの生活、そこでの人生というものをあきらめました。そして、とても不確実な未来でしたが、そこに向かっていく選択をしたんです。私は、それまで成績のいい建築学の学生だったんです。私にとっては、いったい何が起こっているのか、自分が知りたい事、そっちの方が大事だったんですね。なので、自分の中で、小さな死を体験したと言ってもいいかもしれませんね。
 友達には、アジアに行く時に「いつ帰ってくるか分かんないよ」という風に言いました。みんな「来年には帰ってくるさ」みたいなことを言ってたんですけれど、それ以来帰っていませんね・・・笑 何度か帰郷はしましたが、郷里を出て、もう25年になります。
和田:  ケヴィンはアジアだけじゃなくて、マヤとかペルーなど、そういった所でシャーマンとかグルの所で修行してますね。
ケヴィン:  最初はインドで過ごしました。そして、ラッキーなことに、シュリ・ユクテスワの当時存命していた最後の弟子で、完全に覚醒意識に達していた パラマハンサ・ハリハラナンダ(2002年入定)のアシュラムでイニシエーションを受け、修行することができたんです。クリアヨガのアシュラムですね。シュリ・ユクテスワは『あるヨギの自叙伝』の著者であるパラマハンサ・ヨガナンダのグルです。
 ネパールでは、ラマのもとでも修行しました。後に、シャーマニズムというのがとても興味深い視点を提供してくれてるんだということに気がついたんです。それから、北米やネパールのシャーマンたちに師事して教えを学びました。中米や南米でも学びました。北米は、ネパールに比べると頻度は少ないですけど。
 私がアジアを旅している間に、ロバート・モンローが、新しく2冊本を出したという事を知ったんです。そして、その残りの2冊を読んだんですね。モンローの1冊目はずいぶん前に出てたんで、それを読んだ時点では、ただの体外離脱に関する本なんだなという認識でした。私自身体外離脱を十分にしていたんで、まあそれはそれとしての認識しかなかったんですけれども、その後に彼の書いた残りの2冊を読んだんです。そうすると残りの2冊には、ずっとずっと高い意識の事が書いてあったんです。私が師事していた、とても高いレベルのシャーマンでさえ、モンロー研究所に行くことを勧めてくれたんです。

 そして、モンロー研究所のフルトレーナー(レジデンシャル・トレーナー)になりました。後年、中米のマヤの長老たちのグループに招待されて、魂の救済のワークショップを彼らに教えるという、とても名誉なことに恵まれました。マヤの伝統の中には、まだまだパワフルなシャーマンが残っているんですけれども、彼らはマヤの文化の中枢部にいると言うよりは、ジャングルとかに隠遁してしまっていて、中心となる文化圏には実際のシャーマンというのは、なかなかいないんです。スペイン人が侵略してくる前のマヤというのは、シャーマンがいる文化というのではなくて、マヤ自体が、とてもシャーマン的な文化だったんです。
 なので、マヤの文化圏に失われたマヤの文化を復興させようとする協会があるんですけれども、そこに招待されたんです。そして、マヤの長老たちへのワークショップというのが実現したんです。メキシコのマヤの長老やマヤの長老のチーフに、私の知っている事を伝授することができたことは、とても光栄なことでした。マヤの長老のチーフと私は、マヤ語のラジオ局で、スペイン語とマヤ語と英語でインタビューを行ったんです。いかにマヤのスピリットを復興させるかというトピックで、ラジオのインタビューを受けました。

和田:  日本に来ることになったきっかけは、どういう経緯だったんですか?
ケヴィン:  もともとそういう予定はなかったんですが、まあ、精霊に導かれた、スピリットに導かれたんでしょうか・・・
和田:  ケヴィンは、体外離脱の体験を繰り返す中で、多次元的な世界の存在とコミュニケーションしていたのでしょうか?
ケヴィン:  先ほど言い忘れてたことがあるんですが、子供の頃、体外離脱体験をたくさんしていた中で、明晰夢もよく見ていました。そういう明晰夢の中で、自分の家の屋根裏部屋の上に、さらに屋根裏部屋がずっと何層にも続いているという、そんな明晰無を見ていました。そして、その屋根裏部屋をずっと登っていくと、そこには自分の祖先だという存在がいたりですとか、あなたのおばあちゃんのおばあちゃんなのよと言う人がいたり、そういう話をしてくれる存在たちがいてコミュニケーションをとったんですね。
 または、明晰夢の中で、地下室にいくと、さらに下に続く階段があって、下にさがっていくと、また扉があり下に続く階段があって・・・と、どんどん下に降りて行ったんです。その下にトンネルが続いていて、そこに変わった生き物がいました。小人のような、さらに小人よりももっと変わったような存在もいました。シャーマニズムのアッパーワールド、ローワーワールドを知ったのは、そのずっと後シャーマニズムを学び始めてからなのですが・・・。
 ただ、私は自分のことをことさら特別な存在だとは思わないんですね。と言うのは、私たちはみんなこれをやっているんです。少なくとも寝ている間はね。私は特別な存在だということではなくて、ただ覚えていた人なんだ、ということですね。そして他の人が思い出すのを手伝っている人なんだ、そういう風に自分の事を思います。なので、私の感覚としては、私は他の誰かとも違う存在だとは思わないんですね。特別な存在ではないということです。
自分が何者であるかを思い出すほど、
よりパワフルに生きていくことができる。
和田:  とても面白いですね。興味深いです。もっといろんな話を聞きたいんですが、時間の都合もあるので、この先は、ぜひ、ケヴィンのセミナーやワークショップを楽しみにということで・・・
 そんなわけで、最後になりますが、ケヴィンはこれからどんな活動をしていく予定ですか?
ケヴィン:  世界のシャーマンたちとの学びを続けて行って、そして、さらに上級のコースをやっていきたいな〜と思っています。また、要望があれば明晰夢のコースですとか、神聖幾何学のコースとかもやっていけるかなと思います。
和田:  僕の提案なんですが、ケヴィンと一緒に、子どもたちのためのワークショップをやってみたいですね。
ケヴィン:  うん、とても素晴らしいと思います。
和田:  いまの子供たちは、現代社会のシステムに囚われていて、本来の魂としての自由な存在であることを、忘れさせられる環境になっていますね。よく、アフリカで、子供たちが銃を持たされて、戦士としての訓練を受けさせられたりしていますが、このことは、現代の日本でも、もしかするとカタチは違えど、魂の本質を生きるという観点からは、似たようなものなのかもしれません。子供たちの魂を解放するというですね・・・。
ケヴィン:  はい。そうかもしれないですね・・・
 ひとつ、お伝えしておきたいことがあるんですね。
それは「あなたは宇宙です」という事を本当に申し上げたい。
それは思い出すだけでいいんです。「あなたは宇宙です」本当にそれだけなんですね。
そして、体外離脱とか、シャーマニズム、サイコキネシス、リモートヴューイングとか、そういうのは、すべて自分が宇宙であるという事を思い出すプロセスの副産物に過ぎない。
 また、自分が宇宙だという事を思い出すというのは、私たちの日常生活に応用できて、実践できる。とても有効なプロセスなんですね。
 自分が何者であるかを思い出せば思い出すほど、この次元のこの人生を、よりパワフルに生きていくことができるんです。私たちが怖れと欲のサイクルから解放されればされるほど、また、私たちは宇宙だという事を思い出せば思い出すほど、怖れのサイクルから解放されていきます。そうすることで、より現実の人生をフルに生きていく事ができるようになるんです。これは、私たちにとって、とても実践的、実用的な事だと思います。
日本語でいう「絵に描いた餅」・・・英語では、「空に浮いているパイ」ではない、ということですね・・・笑

和田:  多次元的な世界を、この3次元である今の世界に、いかにフィードバックしていくか、ここの世界で創造していくのかという事ですね。
ケヴィン:  個体化すると言えばいいでしょうか。私は多次元意識をこの日常の意識状態に具体化する、具現化する、肉体化するという事だと思うんですけれど、それは、私たちが映画を見ている様なものですね。映画を見ていると、私たちはすごく話に引き込まれて、興奮して、ポップコーンを食べながら楽しむんですね。それは、冒険なんです。
 私たちは映画を見ているという意識がちゃんと持てているんですけども、もし一旦私たちが映画の中に引き込まれて、中のキャラクターと同一化してしまって、そして、自分が映画を見ているという事を忘れてしまったらどうなるでしょうか。その映画の中の出来事とか、人間関係とかですね、そういうものに、ものすごく引き込まれて、それだけが真実だと思い込んでしまって、その中の怖れとか欲とかのサイクルにどっぷりと浸かってしまって、自分が本来映画を見ていたんだということを忘れてしまっている。いまのこの次元での意識状態とは、そういう状態になってしまっているというわけです。映画の中のキャラクターと同一化してしまって、自分が映画を見ている事を忘れてしまっている状態から、本来は映画を見ていたのだということを思い出す。そういうプロセスですね。これは、私が新しく言っていることではないんですね。
和田:  とても分かりやすいですね。
ケヴィン:  はい・・・笑
和田:  もっともっとたくさん、お話しを聞きたいですね・・・笑。この続きは、ぜひ、ケヴィンのセミナーやワークショップで、深く、深?く体験していただきたいです。
今日は、本当に、長時間ありがとうございました。
ケヴィン:  ありがとうございました。
通訳協力 ターナー雪子
ケヴィン・ターナー /
プロフィール
関西在住。ヴァージニア州モンロー研究所における1週間の在学コースをファシリテートできる、日本で初のレジデンシャルトレーナー(在学トレーナー)である。25年以上にわたり45余ヶ国を旅しながら、インドのヨギ、チベットのラマのもとで修行を積むなど、各地の秘教や奥義、意識の探求について学ぶ。北米、中米、ヒマラヤ、アマゾンのシャーマンよりトレーニングを受ける。また、建築学・言語学の学位を持ち、米国では建築業、台湾では航空会社、カンボジアではセーブ・ザ・チルドレン、日本ではIBMに勤務する。米国、日本、台湾、その他の国で大学の教壇に立ち、その研究は各学会誌に発表されている。現在は関西に在住し、モンロー研究所のコースを専業で行う一方、彼独自のオリジナル・コースを提供している。
【取材後記】
 僕は子供の頃、幽霊が異常に恐くて、夏でも汗だくになりながら、タオルケットを頭からかぶって寝ていた思い出がある。幽霊はいるのか?いるならどういう存在なのか?興味は次第にそちらに移り、幽霊がいるということは、死後の世界があって、そこに行ききらない魂が、幽霊としてこの世をさまようのかと・・・。 幽霊がいるなら、死後の世界にも通じる。そんな思いから、死後の世界の探求が僕のスピリチュアリティの最初だった。
 その後も、精神世界をさまよいながら、いろんな知識や体験を身につけたけれど、ここに来て宇宙や存在についてこれまで自分の中で断片的だった情報が、まるでパズルを解くかのごとく、その全体像を表し始めている。そんな中のひとつがケヴィンとの出会いだ。
 ケヴィンは、多次元世界に精通している。多次元世界とは何か?ケヴィンとの対談でも語られているけれど、僕たちが存在する次元は、いまここにいる、次元を縦、横、高さの立体空間だとすれば、それが三次元だ。時間軸を加えることで動きが出るけれど、それが四次元。例えば、意識がそこに加わると五次元世界となる。そんな時空の世界がおよそ30次元もあるという。
 これは、最先端の宇宙物理学でも同様のアイデアを仮説として用いている。不思議なものだ。宇宙のモデルは、相対性理論やブラックホール理論など、時間や空間がゆがむことから、単純に考えても、それ以上の次元世界がなければ説明不可能になる。そんな考えが応用されて、宇宙の全体像を語るためには、どうもこのような高次元の存在を展開しなければ、説明がつかないところまで来ている。しかし、ケヴィンが言う多次元世界が、宇宙物理学者の言う多次元世界と同じであるわけではない。あくまでも、説明上の比喩的な時空間次元ということだ。
 ケヴィンは、小さな頃から幾度となく幽体離脱を繰り返し、その体験から、肉体以外の世界があることはあたりまえだった。しかし、それを認識し、理解するようになったのは、モンロー研究所での現実的な自己探求だろう。また、ケヴィンは、インドのグルやチベットのラマ、南北アメリカのネイティブのシャーマンにも師事して、イニシエーションを受け、インドのヴェーダンタの哲学からチベットの密教哲学、シャーマンの伝統など幅広い体験をしてきた。そんな深い精神体験から語られるケヴィンのシャーマニックな話やワークは、とても深くて、自分という世界が持つ奥深さを、自分自身で体験させてくれる。
 ケヴィンの自己を見つめる探求心が、その深さが、ケヴィンと接する人の深みに共振させ、その人自身が、もっと自己を深く探求し、本来の自分の世界、本来の自分である事への気づきを促進させてくれる。大切なことは、「自律」した人間になること。僕たちが人生を生きる上で必要なものは、すべて備わっているのだ。自己を見つめ、自分の宇宙を生きること。ケヴィンのワークを通じて、そんな生き方について、見つめてみるのはいかがだろう・・・